ラオカイ発の寝台車はよく揺れ、何度か起こされはしたものの、目覚めはそう悪くはなかった。体の痛みもない。列車は停車しており、窓の外では何者かが、大騒ぎしている。車掌らしき女性と、隣のベッドで寝ていた女の子が、二言か三言、会話を交わすと、彼女は荷物をまとめて部屋を出ていった。
呆然としていると、間もなくして部屋の、というか列車全体の電気が消えた。外で騒いでいる男は、どうやら私に早く降りろと急かしているらしい。慌てて荷物を抱えて列車を降りると、例の男が息を弾ませて言った。
「Where do you go?」
男はタクシーのドライバーだった。そしてこの瞬間から、今に至るまで、何度となくこの質問を浴びせられることになった。
「Where do you go?」
どこに?そんなことはわからないね。
シクロやバイクタクシーから聞かれる度、内心では含み笑いを添えて、そう自答するのだ。
しかし列車から降りた瞬間に最初に聞いたこの質問には、私は実際、答えられる材料を持ち合わせてなかった。あたりはまだ真っ暗で、降りたったのはホームと呼べるスペースなど無い、線路のど真ん中だ。時刻は4:30。行くあてなど何もなかったので、ドライバーを追い払い、駅の待合室で時間をつぶして明るくなるのを待った。
7時を過ぎるとだいぶ明るくなり、駅前の通りも賑やかになった。バイクの波をかき分けて通りを渡り、少し歩いたところで、出店のフォーを食べた。酸っぱ辛いスープが体を温めてくれたので、フリースを脱いでTシャツ姿になり、バックパックを担ぎなおして、ガイドブックにあるホアロン刑務所跡を目指して歩き出した。
ホアロン刑務所は植民地時代にフランスが作り、ベトナム戦争中は米軍捕虜を収監していた。跡地にはビルが建ち、今は建物の一部が博物館として保存され、当時の生々しい記憶を今に伝えていた。
ホアロンを出て、まだお昼まで時間があったので、さらに歩いてホー・チ・ミンの墓と孔子廟を訪ねた。孔子廟でゆっくしすぎたため、ホー・チ・ミンの墓の内部まで入れなかった。午前11時で終了なのだ。
近くでタクシーを拾い安ホテルが集中するという旧市街へ向かった。しばらくしてタクシーのメーターをふと見ると、なんと既に30万ドンを越えていた。錯覚かと思ったが、そうではなかった。現にメーターは秒速で1000ドンづつ上がり続けている。いや、そんな漫画みたいなっ!っと思わず心の中で叫んではみたものの、時既に遅しである。適当なところで停めてもらい、結局、37万ドンを支払った。ラオカイ→ハノイ間の寝台列車より高額な料金を支払いタクシーを降りて、ゲストハウスを探した。
ガイドブックにのっているドミのあるゲストハウスを探したが、見つからないので、適当なホテルに部屋を借りた。一泊15ドル。竹の家具がベトナムっぽくていいんじゃない。しかし元陽以降、贅沢病かもしれない。ま、いっか。