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風邪

 25日夜ビールを飲んで寝ようと思ったら、寝てすぐに吐いてしまい、それから急激に熱が出て、下痢も止まらなくなってしまった。  そしてその熱がまた、ハンパないのだ。「タイが熱~い」などと、へらへらのたまっていた報いなのか。人間ってこんなに熱を発することができる生き物なのだと、驚くほどに発熱した。一瞬、マラリヤか、はたまた噂のインフルエンザかっと不安に陥ったが、医者にいったら、普通に「風邪です」と言われた。  バンコクのたぶん一番大きい病院なんだろうと思うのだけど、その名も「バンコク・ホスピタル」には日本人専用コーナーまである超高級病院で、フロアはまるで一流ホテルのようだった。もちろん治療費もそれなりにしたのだが。  熱は宿でもらった謎の錠剤と、医者からもらった解熱剤で昨日にはだいぶ落ち着き、今日には下痢も収束して、食欲も復活した。まぁしばらく安静にして、ころあいを見てまた行動しよう。

三度バンコク

 今朝、10:45の飛行機で三度バンコクへと戻ってきた。帰路に際してヤンゴンには二日滞在したが、二日間ともひどい雨で、交差点は冠水し、下水はあふれかえる有様で、雨季のミャンマーの一端を思いがけずあじわさせられた。  バンコクは最近は好天が続いているらしいとのことだ。めちゃくちゃ熱い。暑いのではない、「熱い」。うんざりする。インドはもっと熱いのだろう(いろんな意味で)と思うと、いまからくたびれてしまうよ。  ミャンマーでは、なぜかこのブログがアクセス拒否されてしまい、投稿はメールを送ればできましたが、コメントの返信ができませんでした。コメントありがとうございます。

深夜特急

チェンマイ発バンコク行き、特別急行の9号車の寝台席には、私の他、二人連れの欧米人がいるのみであった。乗客以上に、数名の乗務員とホルスターに45口径をぶら下げた鉄道警察が談笑する姿が目立った。 しばらくはなんとなく外を眺めたり、乗務員の様子をうかがっていたりしたが、直ぐに飽きたので、前日に古本屋で買った時代小説を読み始めた。 と、ガタンという大きな音とともに、強い衝撃が体を揺らした。不意を付かれ、思わず声がでそうになるほどであったが、それを押しとどめ、列車が動き出したことを外に目をやって確認した。ふふっ、っと鼻で笑う声が後ろの席から聞こえた。発車のベルも、放送も聞こえなかったのだ。いや、そもそもそんな気の利いたものなど無いのかもしれない。 また小説に目を落としたが、なんとなく文字が頭に入らなくなり、チェンマイ駅の目の前で買ったビールをあけ、飲み始めた。 列車は十数分も走らないうちに市街地を抜け、荒涼とした農地をガタゴトとすすんだ。列車のスピードは緩慢である。タイの北部最大の都市とは言え、チェンマイは小さな町だ。バンコク同様、通りにはトゥクトゥクが走り、乗り合いのソンテウもあるが、チェンマイの繁華街は歩きでも十分なほどだった。 ビールを飲みながら、食堂車があるだろうか、有ったとして何時頃まで利用できるか、もしくは代わりのビールとつまみを車内販売で買って済まそうかなどと、思案しているうちに、眠気が襲ってきてしまい、うつらうつらと席で浅い眠りに落ち始めた。 いくつかの駅を経て、列車は緩やかに丘を登り始めていた。駅を発射する度、衝撃に体を揺らされるため、目を覚ましては、寝ぼけたまま外の様子などをうかがい、また眠るというようなことを何度か繰り返した。 しばらくして比較的大きな駅に停車すると、大勢のフランス人の団体が乗り込んできた。タイ人のガイドがフランス語で団体をよく統率し、それぞれの席へ首尾良く座らせると、間もなくテーブルが各席にセットされて弁当が配られた。食事付きのツアーなのだ。ツアー客がそれぞれに弁当を食べたり、トランプを始めたり、記念撮影をしたりと、思い思いの時間を過ごし始めると、ガイドが空いている私の向かいの席に座り、乗務員にテーブルをセットさせ(実は私はこの時までテーブルの存在を知らなかった)、自前の菓子を広げて私に勧めてきた。 せっかくなのでいただきながら、残った...

本を読む

最近めっきり読書なんぞしていなかったのだが、暇をもてあましゲストハウスにある数冊を借りて読んだ。そうはいっても暇つぶしに重苦しいのも嫌なので、軽快に読めるサスペンスや時代小説を選んでは数冊読んだ。 実は何とか殺人事件とかいうのは、馬鹿馬鹿しく思い、読むのを避けてきたのだが、読んでみると、案の定、楽しく、それなりにスリルを味わいながら読めた。映画を見るよりも、ある程度、読者の想像に任せる小説は、人なりに読み方も変わるだろうし、自分の想像に都合よく情景を浮かべられて楽しい。 読んだのは、 西村京太郎 「寝台特急「北斗星」殺人事件」 池波正太郎 「闇は知っている」 横溝正史  「白と黒」 など。あと2冊、短編集を読んだが、作者もタイトルも忘れた。かなり著名な作家のものだが、なんせさっぱり、読書なんて忘れていたからねぇ。池波正太郎は気に入ったので、古本屋で「剣客商売」シリーズを2冊買ってしまった。今からバンコク行きの列車に乗るので、退屈しのぎに読もうと思っている。楽しみだぁー。

失態

失態といえば、この旅だけでも五本の指に入りきれないないぐらいにあるのだが、今日もまたそんな話。 今日は午前中からバイクを借りて、ドイ・ステーブというチェンマイ市外から十数キロ離れた山の中腹にあるお寺を訪ね、ついでにビザクリア前にチェンマイで申請していたインドビザを受け取りに行くつもりだったのだが、いざインド大使館を訪れたら、すでに業務終了とのことだった。 今日は金曜日。明日&明後日は休日。つまり月曜日にまた来なさいと。 月曜日には、バンコクでミャンマービザを申請するつもりだったのに、午前中もたもたしていたばっかりに、また一日無駄にしてしまった。 でもさー、申請&受領の時間が9時~12時って、短くないかぁ?もっと働けよぉー、って無職の人間に言われたかないだろうが・・・。

観光と生活

少数民族の村へのトレッキング・ツアーに参加しようか、迷っている。人間を見せ物にすることにも、見せ物になることにも、やはり抵抗があるからだ。 民族衣装を着て被写体となり、現金収入を得ている人々を哀れんだり、蔑むつもりは毛頭ない。観光"産業"は、すでにどの国でもどの地域でも重要な収入源であり、それに従事する人間もまた、地域の重要な構成員だからだ。なにより、一つの命がそれを維持するための手段の貴賤の判別を私は知らない。 すでに衰退の一途をたどっているとは言え、観光地に生まれた人間として、どこへ行っても、旅行者としての視点と同様に、迎える側の視点で、その土地を見てしまう。 旅行者にとってはその土地土地の生活感を肌で感じることは、旅の醍醐味であるといえる。町を行けば、人々で賑わう市場や、寺院へ参拝する敬虔な信徒、また斜陽に染まる建物すべてが新鮮で物珍しく写る。ツアーに参加すれば、村の素朴な暮らしは、郷愁と深い感銘を与えてくれるだろう。そしてそこに暮らす人々との、何気ないやりとりやコミュニケーションが、一番の思い出として旅行者の記憶に刻まれるはずだ。私もその土地の暮らしを体感することや、地元の人との交流がこれからの観光地のキーポイントであると考えている。 しかし一方で旅行者にとっての非日常は、そこに暮らす人々の日常でもあるのだ。私のような何も知らない外国人が、土足で入り込んで良いものなのだろうか?私がカメラを向けることで、彼らを傷つけやしないか。すでに見聞きしているだろう我々の暮らしぶりと自分たちのを比べて、恥じてしまったりはしないだろうか。 ある程度、年齢を重ねていれば、民族としての誇りや、観光資源としての価値を見いだせるかもしれない。しかし誰にとっても都会の豊かで、贅沢な暮らしは魅惑的に見える。もし労働力が流出し、過疎化に伴って地域の産業は廃れ、観光にのみ頼らざるを得ない状況に陥れば、その地域の経済はいずれ、行き詰まることになるだろう。私の故郷や、日本の崩壊しつつある地域社会のように。 もっとも日本の場合が必ずしも当てはまる訳じゃないし、日本の地域社会の経済の悪化が、過疎化だけに因るものではないのだが、似たような事態がアジアの地方で起こりうる可能性は容易に想像できる。 変化を拒否するのではない。過ぎ去りし封建社会を美化し、昔は良かったなどと...

No Drug!

チェンライではメーコック・ヴィラという地球の歩き方にも載っている小学校の跡地を改修したゲストハウスに宿泊している。一泊400円ぐらいの安宿なので、それなりだが、まぁ快適だ。他の宿泊者も年輩の方が多く、落ち着いている。 が、昨日チェックアウトした隣の部屋の白人のおっさんはジャンキーで、朝話しかけられた時には、肘の内側から血が流れ出ていた。最初、私が彼の英語を聞き取れないので、なに言ってんのかわからないのかと思ったが、そうではなく、単に彼がラリってる所為だったのだ。他の宿泊者の方は気づかなかったらしく、躁と鬱が激しいくらいに思っていた。 彼の部屋は相当に荒れていたみたいで、チェックアウト後にスタッフが一所懸命に片づけていた。特にトイレがどうにかなっており、その修復に手間取っていた。 血を見たときは、さすがに「まずいな」っと思った。前歯もないし。思い返してみれば、最初に話した時、なにか大金を稼ぐ算段を持ちかけられ、笑って断ったのだが、その時にもっと距離を置くか、宿を変えるかすべきだったかも。ビビりすぎかもしれないが、何か有ってからじゃぁ遅い。何も無かったから良かったが。 正直、マリワナも含めドラッグをやってる人間は好かないし、信用できない。薬欲しさに何するかわからない。酒は飲むし好きだから、マリワナぐらいに目くじらたてて、止めろなんて言えた立場じゃないが、やっぱり"それ"は入り口になっちゃうからねぇ。 今後もそういった誘惑はあるだろうが、私は絶対にヤラン!そんなモンが無くとも、心の修養はできるし、酒や薬で得た"真理"なんぞ偽物だ。心をごまかして、濁らせて思いついたことなど、ロクなことじゃない。 なんちゃって、もっと若い頃なら調子にノッて、ハク付けにやってたかもね。正直、いい歳して「初めて吸いました」なんてダサいし、ここまできたら「そんなモンいらん!」っていう方が、カッコいいような気がするわけで…(笑)

チェンライ メーサイ ちょっとだけミャンマー

タイでの滞在期限が明日にせまり、すっかり重い腰を上げて国境までやってきた。ビザクリアのために一度出国しなければならないのだ。 名前がややこしいが、バンコクから北へ700km、北部最大の町・チェンマイからさらにバスで3時間北上した町がチェンライだ。各国境の町への起点として、小さいが旅行者には価値ある町である。 当初、チェンマイからメーサイまで真っ直ぐ行くつもりだったが、ちょうど良い時間のバスが無く、チェンライで乗り継ごうかとも思ったが、なんとなく力尽きてチェンライで宿をとってしまった。 そういうわけで今日、ようやくミャンマーとの国境の町メーサイまでやって来て、国境を越えてタチレクというミャンマーの町でぼんやりしていた。この国境では外国人はビザなしでの入国が可能だが、イミグレーションでパスポートを預けなければならなく、さらに500Bのエントランス・フィーが徴収される。滞在期間は14日間だが、町周辺から外へでることは出来ないらしい。パスポートを預けると、かわりに簡単な身分証明書を受け取った。 しまった。今頃気づいたが、素直にノーンカーイからラオスにぬけて、タイビザを取得した方が安く、しかも長くタイに居れた。現在、タイビザの取得は無料だそうなのだ。勿論、飛行機での入国では日本人はビザ無しでも30日間の滞在が認められる。しかし陸路での入国は今年から15日間に短縮されてしまい、広大なタイを満喫しようと思うと、ちょっと日数が足らないのだ。 まぁ、私がダラダラしすぎなのかもしれないが。

ソンクラーン

町中が水浸しになり、道路が冠水するまで祭りは続けられ、昨日は日が暮れるまで宿の他のお客さんや、隣のバーのお客さんと盛り上がってしまった。 そういうわけでいつもより写真も倍増。

チェンマイ

4月の13日から15日までが正月にあたり、チェンマイでは東南アジアで最大の水掛祭りが行われる。しかしすでに今日現在、町はお祭りムード一色で、道を行けば問答無用に水をかけられる。こっちも当然それなりの覚悟で散策しながら、ついには水鉄砲を購入して、地元の人々や、私と同じく観光で訪れている多数の外国人に混ざって、水を掛け合った。 個人的には仏教の行事の要素もあるから、おとなしくつつましく過ごすことを目的に、ヤンゴン(ミャンマー)へ行くことも考えたのだが、この時期は航空券も大幅に値上がりするため、どのみちバンコクで中途半端に盛り上がるくらいなら、思い切って本場(?)で開き直って楽しもうと思ったのだ。 しかしまぁー、老若男女、水浸しである。ついには強烈な日差しの下にいるにもかかわらず、寒気を感じるにいたるまで、水をかぶってしまった。風邪引いたら、馬鹿みたいだなぁ。

バンコク

バンコク三日目。 しかし特に宿周辺を散策した以外、動いていない。急に都会に来てしまって、少し戸惑っている。町が大きすぎて、つかみ所がない感じだ。それでも今日は近くのお寺を二件ほどまわってみた。王宮にも行ったのだが、半ズボンだったため、入れてもらえなかった。油断してたよ。 明日にはチェンマイへむかう。水掛祭りを見に行くのだ。

バンコク入り

タイのバンコクに来た。思っていたより早い時間につき、宿もシェリムアップで知り合った方に紹介していただき、すんなりと決められた。ありがたい話だ。 シェリムアップでは日本人が多く泊まる宿に滞在していたおかげで、急にたくさんの方と知り合う機会があり、大変有意義な時間をすごせた。旅の途中の人、日本に帰る人、学生さん、会社員、ニートな人、それぞれがそれぞれの思いをのせて旅に出る。 また皆さんに会いたいものです。

フェイサイ ちょっとだけタイ メコン川下り パクセ

ルアンパバーンからフェイサイへのバスは、道も悪く山岳地帯が続いたため、さすがにだいぶ酔ってしまった。また夜間はかなり冷え込み、私は運良くバックパックを車内に持ち込めたため、防寒着を着こんで難を逃れたが、となりのカップルはTシャツ短パンだけでかなり寒そうだった。 深夜発のバスは15時間をかけて翌朝フェイサイへ着いたが、空腹とバス酔いで胃袋を握り締め付けられているような気分であったため、適当なゲストハウスに滑り込み、数時間ベットに横たわっていた。 しばらくしてからタイへ出国するため船着場へと向かい、渡し舟にてメコン川をはさんで対岸に位置するタイのチェンコンにわたり、30分ほど滞在した後、フェイサイに戻ってイミグレーションにて再びラオスへの入国検査を受けた。これでまた15日間、ラオスに滞在できる。 ゲストハウスで翌日のスローボートのチケットの手配をすませ、その日は早々に寝た。 フェイサイからルアンパバーンへ下るスローボートは、途中、パクベンと言う町での一泊をはさんで、二日間をかけての移動となる。昔は主要な交通機関であったボートは、現在、道路の建設が進み、雨季を除いては、物好きな旅人のための観光手段の一つでしかない。その日も乗客のほとんどは、海外からの旅行者だった。 ゆるやかなメコンの流れをすべるように進むボートからの景色は、長閑でもあり、また自然の強大な力による痕跡に息を呑むような瞬間もあり、裸で泳ぐ子供たちあり、時には川沿いの村から村へと物資と人が行き来するあわただしさあり、流れる死んだ牛あり、なかなか飽きるとこの無いものであった。 しかしながら二日目ともなると、さすがに流れる景色にも飽きてしまったが、隣に女優かと見紛うほどのスイス人美術女教師と同席になり、しばらくは彼女の美しさに見とれて退屈をしのげた。あんな美人とお話できるなんて、海外旅行もしてみるもんだ。 ルアンパバーンへは二日目の夕方に着き、その日は数日前とは別のゲストハウスに宿泊し、翌日空路にてビエンチャンへ向かった。ルアンパバーン空港は、国際便があるとは思えないほどの小さな空港で、ビエンチャン行きの飛行機はB29のようなプロペラ機だった。出発予定時刻から5分ほど遅れて搭乗すると、席に座ってすぐにエンジンが始動し、10分ほどで離陸した。 翌日、ビエンチャンからさらに飛行機を乗り継いでパクセへと向かうつもりだった...