スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(海外)が付いた投稿を表示しています

DELHI

 たぶんインド、及び今回の旅の海外での最後の更新になると思う。これといってデリーで動き回る気力もないので、後はおみやげを買いにウロチョロするぐらいだ。もはやたいした出来事もないだろう。あっても、きっともぅ驚かない。  ホテルは最後だし、ちょっと奮発して高めの場所にした。っといっても、せいぜい1500円ぐらいだ。テレビとエアコンのあるシングルルームだが、雰囲気はバラナシの安宿の方が良かったな。なんかここはラブホテルみたいだよ。ポイントは部屋で無線LANが利用できることだが、よくよく聞いたら一日100円取られるらしい。まぁいいや。  今日は昼近くに起きて、ニュー・デリー駅近くのメイン・バザールと呼ばれる一帯を、ウィンドウ・ショッピング(?)をしながら散策し、その後、物産店を目指してコンフォート・プレイスに向かったが、変なガキに連れられて、高級みやげ屋に行ってしまった。  くそ暑い中、いちいち声をかけられるので、おっさんにはブチ切れてみたが、子供には弱いのだ。わかっちゃいるけど、せっかくなんでジュースを与えて、一緒に公園でたばこを吸ってたら、ゲホゲホ咽せてた(笑)。  そんなクソ餓鬼と別れた後、自力で政府の物産店にも行ったが、完全に閉まっていた。なぜだ?前の道路が工事中なので、その関係かしら。日曜だから?バカな。  しょうがないので政府物産店をあきらめ、コンフォート・プレイスで買い物をして、メイン・バザールでビールを飲みつつ食事をし、ヨタヨタとホテルに戻った。夜は危険なので、出歩かないのだ。旅慣れつつはあるが、やはりデリーは鬼門なのである。実際ガイドブックをもってウロウロしてると、良くも悪しくもいろんな人から声をかけられる。悪しき場合においても、たいがい私がいろいろ回って、もう帰るところだと知ると、せいぜいみやげ屋に御招待してくれるぐらいだが。  これは旅なれた人でも初心者でも一緒だと思うのだが、要は深夜のデリー着が危ういのではないのだろうか。特に飛行機だと、疲れてるし、急に日本とのギャップに対応するのは、いかなる強者もなかなかしんどいだろう。初日をうまく切り抜けても、当然、最初だからデリー観光に出掛け、そこでまた高額ツアー詐欺が待ってるのだ。  私のような海外初心者が呑気にしてられるのは、比較的安全なコルカタINで、ゆっくりインドに慣れつつあったのと、既に観光に興味を無...

AGRA

 多くの別れ難い友人たちに見送られてバラナシを後にし、アーグラーヘと向かった。インドくんだりまで来て、毎日毎日ぐぅたら三昧だけで終わってしまっては何なので、せめてタージマハルぐらいは見ておこうじゃないか。  そしてココからは、ちょっとリッチな旅をしよう!と決めていたので、バラナシ→アーグラーの列車も、エアコン付きの二等寝台だ。ホントは個室の一等寝台に乗りたかったのだが、ちょっとした行き違いで、残念ながら映画「ダージリン急行」のような旅は出来なかった。  ちなみに今まではエアコン無しの三等寝台を利用しており、初めて二等寝台に乗ったのだが、結構、外国人ツーリストの利用も多く、関西系日本人の女子三人組がいた。彼女達は短期のツアー(ガイド付!)だそうで、今となっては立場が逆転して一般化したかと思うほど多い貧乏旅人とは接点がなかったため、話を聞くと妙に新鮮な気がした。  約一時間遅れでアーグラーに到着し、とりあえずどうしようか迷っていると、例によってオートリキシャのドライバーが寄ってくるので、蹴散らしつつ荷物を駅に預け、外へでた。時間は7時。できればデリー行きの列車のチケットを購入してから、ゆっくりと観光したいところだが、チケット・カウンターが開くのは8時からだ。その間、ボーっとしてても仕方がないので、先にタージマハルへ行き、駅に戻ってチケットを買って、それからアーグラー城へ行くことにした。適当なドライバーに事情を説明し、300ルピーで手を打って、オートリキシャに乗り込んだ。  まぁ、タージマハルは説明しません。あっ、そう。って感じ。入場料高すぎ。どっちかというと、アーグラー城の方が見応えあったなぁ。やっぱ、もぅ観光に金使うのやめよう。私がケチだから、つまんなく思っちゃうのかな。でもあんだけのモンを作ったインド人のパワーはすごいよ。それだけは感じた。  というわけで午前中で観光を終え、列車のチケットは都合のいい時間帯のものが手に入らないようなので、バスでデリーに向かうことにして、近くのバス・ステーションへ行った。  アーグラー→デリーのバスは頻繁にあるので、難なく乗り込み、約5時間半でデリー市外のバス・ステーションに到着。さらにそこからは、何言ってんだかわからないおっちゃんのオートリキシャでニュー・デリー駅へ。案の定、勝手に知らないホテルに連行されたので、金を渡してとっとと逃...

VARANASI

 そんなこんなでバラナシ10日目。例によって何もしてない。日食は無事見れたものの、他の日はだいたい本を読んだり、ガンガー(ガンジス川)沿いを散歩をしたりして過ごしている。  結構、みんなバラナシを気に入ってるみたいだけど、なんでかなぁ?臭いし汚いし停電多いし、決して良いところじゃないと思うのだが???まぁ文句を言いつつ、10日もいてなんだが。  先日は、火葬場を訪れた。ガンガーに面してある火葬場は、日本のそれとは趣が異なり、ただ薪を重ねてその上に死体をおき、外で行われ、遺灰はガンガーに流される。燃えさかる薪からひょっこりのぞいた遺体の足や、火葬開始直後の未だ人の形をなした肉塊は、死の、人間の最後の瞬間をまざまざと見せつけ、生と死の有り様を直感させる。  ちなみに火葬場は撮影厳禁なので、写真はありません。雑な火葬だけど、木箱に詰め込まれて、コンクリートの釜で焼かれるのも、人間味が無いっちゃ、無いかなぁ。  きっと誰もが感じることだろうけど、死を意識しない生は空虚だ。それは愚鈍で、生命への冒涜に他なら無い。でもきっとまた日本に帰って、日々の暮らしに追われると、忘れてしまうのだろう。  昔私は、人間はいつか死ぬのだから、死ぬために生きている人間は空しい、だから人は死ぬために生きるのではなく、目的を持って生き、結果として死ぬのだと考えた。  今はまた、やっぱり人は死ぬために生きていると思っている。でも空しいとは思わない。せえいっぱい生きて、安らかに死ねたら、まぁいいかな。そう思う。  ガンガーの流れは、静かに弛みなく続いている。雨季だというのに、水量は少なく、ボートで中州へわたることもできる。今日も多くの巡礼者がこの川で身を清め、祈りをささげていた。

RAJGIR

 ブッダ・ガヤからは、日帰りでラージギルも訪れた。ラージギルには法華経の舞台となった霊鷲山ことグリッドラクータ山や、そのすぐ側には日本山妙法寺の建てた仏塔がある。  ガヤからラージギルへは、近くの町のバス・ステーションまでオート・リキシャ(インドのトゥクトゥク)で向かい、そこからバスで2時間強かかる。  日が暮れる前には戻ってこようと思っていたので、朝7時に宿を出て、路上喫茶店でチャイを飲みながら、居合わせた客にバス・ステーションまでの相場を聞いた。それから通りすがった流しのドライバーを捕まえ、バス・ステーションへ到着すると、タイミングよくラージギル行きのバスが出発するところであった。後でわかったのだが、ラージギル行きのバスは一日に何本もあるらしい。  バスは見渡す限りの大地や農作地を快走し、途中の大小の町を中継しながら、10時過ぎにラージギルへと到着した。まわりの乗客や乗務員に促されて降ろされた場所は、駅のある中心部から1kmほど離れた温泉地の前だった。ここにはインドでは珍しい温泉が湧いているのだ。  ガイドブックを持たずに来てしまい、目的の霊鷲山がどこにあるのかわからなかったので、とりあえず温泉施設のなかにはいると、たくさんのインド人が沐浴をしたり、体を洗ったり、なかには洗濯までしてるおばちゃんもいた。  ちなみに温泉施設といっても、日本の銭湯のようなわけではなく、ヒンドゥー寺院のような建物で、例によってインチキ坊主がかってに家族の健康を祈りだし、寄進を要求してきたりするので、一瞬、浸かろうかなぁ、っと思ったが、面倒なのでやめといた。  近くの付近を見渡せる小高い丘に登り、遊びに来ていたインド人の若者に霊鷲山の場所を訪ねてみたが、いまいちよくわからない。そこで丘をおりて、温泉地の目の前のレストランで昼食を食べつつ、給仕係に聞くと、霊鷲山は5kmほど離れているとのことで、馬車を頼んでもらうことにした。  昼食後、待たせていた馬車に乗り、バスで来た道を引き返す形で、霊鷲山へ向かった。霊鷲山の参道へ向かう道路は整備されており、巨大な山門がそびえ立っていた。山頂へはロープウェイがあるということで、乗り場を探すと、ロープウェイというよりは、スキー場のリフトのようだった。  怖い。スキー場ならともかく、下は岩山である。しかも此処はインド。安全対策は確実に期待できない。おそら...

ECLIPS in VARANASI

 前日の早朝は雨で、こりゃ当日も厳しいかなぁっと思っていたら、奇跡的に晴れて、みごとな皆既日食を観測することができた。みんなの願いが通じたね。  実は日食のことなんて、旅の途中でたいして念頭においていなくて、おそらくは混雑するだろうバラナシを避ける日程を考えていたくらいなのだが、来て良かったよ。素晴らしかった。一生のうちでなかなかできない経験をさせていただいた。  太陽が徐々に「欠けて」いく様子は、光がきつすぎて、特に何の準備もなかったので、よく見れなかったが、太陽と月が完全に重なり、あたりが暗くなったっ瞬間は、多くの人が感嘆の声を上げ、私も息を呑まずに入られなかった。虚空に光輪が不気味に輝き、うっすらと光を帯びた雲が風に流れていく様子を、あくことなく眺めた。日食があけ、暗闇に光が差した時もまた、まさに奇跡を見ているようで、心が震えた。この世に太陽の光が戻り、明るくなるにつれ、その暖かい光が何より有難く感じられた。  サンヨーの安デジカメでは、きれいに撮影できなかったけど、まぁ見てやってください。肉眼で見た日食の瞬間は、もっと光の輪が小さくみえました。 http://www.youtube.com/watch?v=jTjMrlBQjQI 右のリンクからも視聴できます。

BUDDHA GAYA

 根がはったかのような重い腰をようやく上げて、プリーを脱出し、鉄道に揺られること18時間、聖地ブッダ・ガヤへ到着したのが13日。私にとって、インド最大のハイライトであったはずだが、ラーギギルへの日帰りを含め、さらっと3日間で移動してしまったのは、日本、中国、ラオス、タイ、ミャンマーと仏教色の強い国を旅し、総仕上げとしてインドに赴いた割には、あっさりしすぎか。  名前の通りブッダ・ガヤはブッダが長い瞑想の果てに覚りを得、まさに仏教が誕生した地だ。その瞬間を見守っていた菩提樹の末裔とされる木の前には、巨大な寺院がたち、多くの敬虔な信者たちが参拝に訪れている…、と思いきや、知っての通りインド最大の宗教はヒンドゥー教であり、参拝客もほとんどがヒンドゥー教徒のようで、巡礼と言うよりは観光のノリで来ているように思えた。  もちろん熱心に瞑想をする僧侶や、スリランカやマレー半島からきた巡礼ツアーの一団もいたりと、聖地であることを感じる一面もあるし、ヒンドゥー教徒のインド人にしても、仏教がヒンドゥー教の元であるバラモン教から発生したことや、ブッダがヴィシュヌ神(だっけ?)の化身であるという位置づけから、それなりに真剣に参拝してはいると思うのだが。いやたぶん。  ところでブッダとは「覚った人」とか「目覚めた人」という意味で、本来、固有名詞ではないらしいが、とりあえず仏教の元祖ゴータマ・シッダールダ個人の名前として使用しています。あしからず(笑)  さて私としても、久しぶりの観光名所でもあることから、その菩提樹の前にそびえ立つマハーボディ寺院の存在感は圧倒的に感じられた。残念なことに、要所要所で先を急ごうとする、いつもの「勝手についてきたガイド」が、巡礼気分をぶちこわしてくれたため、心行くまで聖地を堪能できなかった訳だが。ま、悪い奴ではなかった。しかし奴らのしつこい勧誘がうざったくって、そそくさと聖地を後にした感も否めないこともない。  結局、ガイドの誘いにのっておみやげ屋にも行き、ついつい1000ルピーも出して、嘘かホントか菩提樹で作ったという数珠を買ってしまった。まぁ、家には良いおみやげが出来たかな。  日本寺へも行き、なんちゃって座禅もしてみた。さすが聖地ブッダ・ガヤには各国の寺院があり、日本寺も勿論あるのだ。残念ながら坊さんは不在で、教えを受けることは出来なかったが、そこは三つ...

SANTANA LODGE

 インドにも多くの日本人旅行者が利用する、いわゆる日本人宿が各所に点在する。結局、約20日間過ごしたプリーのサンタナ・ロッジもその一つだ。オーナーのフォクナ氏は日本語ペラペラで、兄のクンナ氏は奈良でインド料理屋を経営しているそうだ。  プリーでお祭りがあったこともあって、私の滞在中には最大30人以上の日本人旅行者が宿泊していた。  日本人が多い&日本語が通じるのもサンタナの魅力だが、長期滞在する人間が多いのは、至れり尽くせりのサービスを低価格で享受できる点が大きい。なんせ一泊130ルピー(1円が2.08ルピー)で朝食&夕食&朝晩のチャイ付きなのだ。昼食は追加料金が必要だが、朝食と昼食とチャイは部屋まで運んできてくれる。ロビーには4000冊の日本語の書籍があり、インターネット・ルームもあり、さらに鉄道や飛行機のチケットの手配も可能だ。  そしてこのサービスがために、徐々に出かける気力を奪われ、多くの人がダラダラと過ごしてしまう。気づけば一週間、二週間、なかには一ヶ月以上なんて人もいる。  そんなわけで、おそらく人生で最も無意味な時間を骨の髄まで堪能してしまったわけだが、無駄な時間というのが、自分にとってなによりも贅沢であるとも感じた。退屈であることのすばらしさよ(笑)。とはいえ、他のいろんな場所と同様に人との出会いはすばらしかった。  もちろん沈没の原因は自分にも多大にあり、タイぐらいから薄々気づいてはいたのだが、旅自体に飽きてきた感もあるのだ。実際、アンコールワット以降、ほとんど観光らしい観光もしていない。名所巡りが旅のすべてではないが、わざわざ海外に来て、部屋でずっと本を読んでいるのもどうなのか。  個人的には、やっぱり三ヶ月ぐらいの旅が限度かなぁ。それ以上になると情報過多でキャパシティがオーバーしてしまう気がする。なにを見ても無感動になってしまっている自分がいるのだ。その反面、死ぬまで旅を続けたいという理想もあるのだが…。  おそらく私が一年以上の旅をするには、三ヶ月に一回は一ヶ月程度の沈没期間が必要だ。っと思う。まぁタイミングや期間はもっと細かくても良いが。そうすることで自分なりに整理がつくように思う。今回の反省点は、アンコールワットまでかなり飛ばし気味で旅をしてきて、後半になって萎えてきてしまったことだ。この反省が活かされるような長期旅行は今後、もう無いだろ...

TICKET TO JAPAN

 いまだプリーにて泥のような日々を送っている。  当初の予定は南下であったが、これをやめてブッダガヤなど、ブッダの足跡を数箇所たずねたのち、デリーからインディアン・エアラインで関空へ飛ぶ。着予定は来月5日。チケットはすでに抑えた。大阪で数日過ごしてから、ゆっくり福島を目指すつもりだ。

PURI

 プリー着・・・、すでに何日かわからなくなるくらい、だらだらしている。ほんとに何もしていない。ぐだぐだしゃべったり、タバコすったりしているうちに、食事の時間が来て、食っちゃ寝、食っちゃ寝・・・。  まぁそんなわけで書くこともないので、プリーの子供たちの写真を。

KOLKATA AGAIN

 プリー行きの切符が現在、若干の値上がりをしているため、またコルカタに停滞している。さすがにダラダラするのも飽きて、先日は二日続けてガラにもなく、マザー・テレサ由来の教会へ行き、ボランティアとして介護施設へ派遣されてきた。  二日間とも一日限りの体験コースのような形で訪れたため、シスターの指示する施設へ派遣され、簡単なお手伝いのみをしてきたが、ほとんど言葉の通じない被介護者やスタッフとなんとかコミュニケーションをとりながらのボランティア体験は、とても良い経験だった。そしてマザー・ハウスのシスターも、また施設の誰もが見物客のようなボランティアを温かく迎えてくれた。  さすがにインドらしく、施設のサービスは若干、雑(笑)なのだが、被介護者の方々は、私の見る限り快適そうに見えた。また女性と男性が完全に分けられているのも、インドらしいなぁっと思った。二日間とも、被介護者の男女は顔を合わせることすらなかった。

DARJILING TEA LIFE

ダージリンと言えば、お茶でしょう。異論はあろうとも、此処に来たにはお茶を買って帰らなければ、意味がない。  そういうわけで、おいしいお茶を求めて、市街をウロウロしたわけだけど、このダージリンという町は、山の尾根に沿ってあるので、どこに行くにも坂を上ったり降りたりしなくちゃいけない。なんだか毎日、登山気分だ。  まず最初にNATHMULLSという老舗のお茶屋さんを訪ねた。NATHMULLSはコルカタで出会ったインド通の佐藤さんに教えてもらったお店だ。カウンターにはずらりとスタンダード・クラスから、ミディアム、プレミアムと各2種類から3種類が並んでいて、親父さんに香りをかがせていただいたが、なんだかおいらの貧乏鼻にはドレもコレもいっしょに思える。  まぁ、なんにしても飲んで見なきゃわからないだろうと、ミディアム・クラスをお一つたてていただいたが、これがもぅ見た目の薄さにも関わらず、香りも味もしっかりしていて、さすが!っと唸らずにはいられない一品だった。ちなみにお値段は一杯25ルピー。安食堂ならカレーが食べれる値段だ。道ばたのチャイが一杯5ルピーなので、そのへんからも高級感がわかっていただけるだろう。  さっそくお茶っ葉はいくらか聞いてみたところ、ミディアム・クラスは150gで240ルピーだとのこと。日本円にして約600円くらい。インド国内の物価事情を考えると、決して安くはないけど、そこはほら。おみやげだし。ふーむ…。日本へ送ることも出来るそうなので、決めても良かったが、こういうときはやはり他店との比較も大事であろうと、いったん店を出た。  さすがお茶の名産地だけあって、茶店は行く先々にある。またガイドブックによれば、近くにはインド産の紅茶の15%を生産するハッピー・ヴァレー紅茶園もあるとのこと。各店舗を巡るのも、なんだか面倒なので、一気に本丸を目指そうと、紅茶園へ進路を定めた。  ダージリン駅をぬけてスィッキム地方へ向かう基幹道路をそれて工場へ向かう道は、見渡す限りの茶畑を九十九折りに下っている。茶畑には、今年の二番茶を摘むおばちゃんたちが、篭をさげて腰を折っていた。しかし工場は稼働しておらず、人気もなかった。密かに工場で直販するお茶を安く購入できやしないかと目論でいたが、当てが外れてしまった。また茶店で最も香り高い二番茶は、今年はまだ精製中だと聞いたので、もしや工場に...

GREEN HOUSE RESTRANT

 午後8時を過ぎて、ふと深夜の空腹に不安を思い、さしせまった餓えは感じないものの、近所のレストランへでも行こうとベッドを離れると、ちょうど宿の同室のやや年輩のナニ人かわからないおじさんも出かけるところだった。  ドミトリー・ルームの施錠に手間取い、少し遅れて宿をでると、道は真っ暗で霧が立ちこめていた。霧の夜道を一人でウロウロする気にはならなかったので、最寄りのレストランに入ると満員だった。仕方なく少し歩くと、ダージリンでも珍しいだろう白熱灯の穏やかな灯りを見いだした。ドアを開けると老婆と少女が困惑げな表情を見せて、モモ(餃子のようなもの)なら用意できる旨をたどたどしい英語で伝えてきた。  もとより寝るまでの数時間を"もたせる"ための軽食のつもりだったので、モモでよいと言ってなかへ入ると、同室のおじさんが、予約でもしたのだろうか、豪華な夕食を既に食べ始めていた。  店の奥からあらわれた青年が、少し待てばチョウメン(焼きそばのようなもの)をだせるというので、それではチョウメンをと頼むと、さっそく奥で調理を始めたようだった。  簡素な店内でひときわ目立ったのは、正面に飾られたブランコで仲むつましい様子の姉弟の絵画だったが、私の目を引いたのは横の壁に貼られた寺院の写真のプリントだった。湖の畔にたたずむ寺院には多くの信徒が参拝に向かっている。  気になったので席を立って眺めていると、調理場から出てきた青年が、カトマンドゥのヒンドゥー寺院だと説明してくれた。建物の作りや、またレストランの(おそらく)一家がチベット系であることから仏教寺院だと早合点していたため、その説明は意外だった。  しばらくして料理がきた。即興でだされたそれは何とも味気なく…、っというか不味かった。ケチャップで無理に味を殺して食べたが、隣のおじさんの晩餐とは比較のしようもないほど粗末で、相席にしなくて良かったと、心から思ったほどだった。  青年は笑顔でおいしいか?っと尋ねた。私はおいしいよ、っと答えた。老婆と目が合うと、にっこりと笑顔が送られてきた。少女が水を持ってきた。水は外国人である私のために湯冷ましを用意したのだろう、コップの縁に水滴があり、まだ生温かった。ありがとう、と言うと、少女も消え入るような小さな声で、どういたしまして、と笑顔で言った。  仏陀の言葉に思い至った。正確には忘れ...

KOLKATA DAYS

 ホテル・パラゴンには数名の日本人の他、韓国人の旅人もたくさんいる。なかには、すっかり沈没気味の韓国人(朝青龍似)もいて、欧米人やインド人にはきっと見分けがつかないだろう、東洋人の一団で和んでいる。  そういう私もたいした観光もせずに、ダラダラと日々を過ごしている。7年ほど止めていたタバコにも、すっかり体が慣れてしまい、路上の喫茶店でチャイを飲みながら、または宿で語らいながら、安タバコを楽しんでいる。人にはさんざん止めろとかいいながら、このていたらく。まぁまぁ、おいらはそんなやつです。とはいえガンジャには、やっぱりなんとなく手がでない。偏見だと笑われそうだが、私は私なりでありたい。タバコで十分だよ。どっちも体に悪いには違いないがね。  昨日今日と、重い腰を上げて出かけた先は、近所の公園と、カーリー寺院という、ヒンディーのお寺だ。公園にはイギリス統治時代の遺産であるヴィクトリア記念堂があり、放牧されている羊やフットボールやクリケットを楽しむ様子との対比が、おもしろい。  カーリー寺院では、毎日、ヒンディーの女神であるカーリーの象徴の黒い石に、生け贄として捧げられるヤギの首をはねるそうだが、それも見ようと意気込んで、早朝6時から並んだのだものの、参拝に訪れた多数のインド人の圧倒的なパワーに負けて、結局、石だけを見て、すごすごと退散してきた。なにかものすっごく、気力と体力を奪われた。でも院内で、インド人にもみくちゃにされて、すこしこの国に来た実感がわいた気がする。  朝は、市場にも出かけた。ニューマーケットの裏側にある食品市場は、肉、魚、野菜と、部門によって建物が違い、しかしどの市場も一様にけだるい雰囲気に包まれていたのは、私の訪れた時間が遅く、既に日差しが強く照りつけていたからか。  それでも市場は、他のアジアの国々同様、人々の暮らしの一端が見えるようで、楽しい。近くに住んでいると思われる子供達からの歓迎を受けたほか、売り手のおじさん達も、通りすがりのひやかしの客を、比較的あたたかく迎えてくれた。

こるかた

カルッカッタ。っと呼んだほうが、なじみがある人の方が多いのだろうか。しかしいまでは「こるかた」に読み名が変わったそうで、バンコクにいてもほとんどの人が、そのように呼んでいた。 とりあえず無事、空港から宿までこれた。最初の難関は突破っと言いたいところだが、コルカタの空港は閑散としていて、意外なほど"引き"もなかったので、ちょっと肩透かしの間も否めない。空港からは、バンコクで紹介してもらった韓国人のヂョンミン君と、空港ロビーで声をかけた欧米人のおっさんと三人で、サダルストリートという安宿が集中しているところまでタクシーに乗った。 運転手は無口で、ときどき人やバイクを引きそうになりながら、アグレッシブなドライビングテクニックを披露してくれた。助手席の私はそのたびにひやひやしながらも、窓を流れる雑然とした風景に見入った。インド人、カラス、牛、犬、インド人、インド人。あたりまえだが、見渡す限りインド人だ。来たねぇー、インド。ぎょろりとした彼らの目を飽くことなく見つめ、見つめられながら、私はインドを行くのだ。 とりあえずしばらくはコルカタだ。暑いし、のんびりするよ。

ミャンマー写真

インレー湖周辺の村にある寺院 バガン行きのボートであった子供たち チャウンター・ビーチ 佐野日大と滋賀観光のバス トレッキングのゴールの寺院にいた子猫 トレッキング中