自転車で仏塔まで先導してくれたおじさんは、おそらく毎日そこで絵を売っているのだろう。内部の仏像の前には、おじさんのものと思われる茣蓙が敷いてあり、私が帰る間際には、何枚かの絵をそこで広げていた。
おじさんに勧められるままに、仏塔の階段を上り屋上にでると、見渡す限りの絶景に、息を飲まずにはいられなかった。果てしなく続く林の茂みの間から、新旧、大小、数え切れないほどの仏塔や寺院がその姿を覗かせていた。それは古代ビルマ王朝の繁栄を思わせるのに十分すぎるほどの景色であり、また今も綿々と続くミャンマーの人々の信仰心を裏付けるものでもあるように思った。
少しの間、そこでのんびりと景色を堪能したかったのだが、おじさんが余りにしつこく解説を繰り返し、私の年齢だ、出身だ、何日滞在するのだ、と、知ってる限りの英語での質問責めにうんざりしてしまい、早々にその場を後にした。階段を下りると、早速、おじさんが商品の絵を広げ、売り込みを始めたので、「No
thank you」とだけ言って、仏塔を出て自転車にまたがった。
その日はバガンに点在する仏教遺跡を巡るつもりで、早朝、宿で自転車を借り、滞在する村からオールド・バガンと呼ばれる遺跡が集中する地域へと走っていた。おじさんの仏塔は、村とオールド・バガンの間ぐらいにあるガイドブックにも載ってなさそうな小さな仏塔だが、小高い場所にあり、バガンの西端から景色を一望するには、良い場所であった。
さらに西へ進むと瓦解した城壁の門が残されており、その付近に有名な仏塔や寺院が集中している。個々の解説は省くが、ほとんどの遺跡が11世紀から13世紀にわたって建造されたものであり、アンコールワット同様、重要な仏教遺跡である。アンコールワットと違うのは、お国柄か(笑)、世界遺産には登録されておらず、今も現役で人々の信仰の中心でもあるため、コンクリでガンガン修復されていたりする点だ。
しかし、まぁ諸行無常が仏教の根本思想なのだ。不変のモノなど無いのだから。カタチが変わっても、今此処に生きづく人々の御仏を賜う心根こそ、彼の地のにおける最も重要な文化財なのだろう。
おじさんに勧められるままに、仏塔の階段を上り屋上にでると、見渡す限りの絶景に、息を飲まずにはいられなかった。果てしなく続く林の茂みの間から、新旧、大小、数え切れないほどの仏塔や寺院がその姿を覗かせていた。それは古代ビルマ王朝の繁栄を思わせるのに十分すぎるほどの景色であり、また今も綿々と続くミャンマーの人々の信仰心を裏付けるものでもあるように思った。
少しの間、そこでのんびりと景色を堪能したかったのだが、おじさんが余りにしつこく解説を繰り返し、私の年齢だ、出身だ、何日滞在するのだ、と、知ってる限りの英語での質問責めにうんざりしてしまい、早々にその場を後にした。階段を下りると、早速、おじさんが商品の絵を広げ、売り込みを始めたので、「No
thank you」とだけ言って、仏塔を出て自転車にまたがった。
その日はバガンに点在する仏教遺跡を巡るつもりで、早朝、宿で自転車を借り、滞在する村からオールド・バガンと呼ばれる遺跡が集中する地域へと走っていた。おじさんの仏塔は、村とオールド・バガンの間ぐらいにあるガイドブックにも載ってなさそうな小さな仏塔だが、小高い場所にあり、バガンの西端から景色を一望するには、良い場所であった。
さらに西へ進むと瓦解した城壁の門が残されており、その付近に有名な仏塔や寺院が集中している。個々の解説は省くが、ほとんどの遺跡が11世紀から13世紀にわたって建造されたものであり、アンコールワット同様、重要な仏教遺跡である。アンコールワットと違うのは、お国柄か(笑)、世界遺産には登録されておらず、今も現役で人々の信仰の中心でもあるため、コンクリでガンガン修復されていたりする点だ。
しかし、まぁ諸行無常が仏教の根本思想なのだ。不変のモノなど無いのだから。カタチが変わっても、今此処に生きづく人々の御仏を賜う心根こそ、彼の地のにおける最も重要な文化財なのだろう。