パテインをあとにして、チャンターという海沿いの村を目指した。パテインからのバスは町のすぐ近くのバス駅から発車する。
朝起きてすぐ宿の用意した、例によって簡素な朝食を胃袋に詰め込んで、すこし近所を散歩した。宿の目の前には市場があり、各店舗にはそれぞれ食料品や衣料品、雑貨などが並び、それらを買い求める人でごった返す様は、他のアジアの国々同様だ。行き交う人々にインド系の人種が増えたのが、ミャンマーに来て一番大きな違いであるように感じる。また道路を走るバスやトラック、自動車の年代が異常に古く、ほとんどが80年代か、古いものでは私よりだいぶ年上のトラックも未だ現役で活躍している。ヤンゴンでもパテインでも道路の状態は悪く、社会主義の国であることを強く感じさせる。
散歩から戻り、荷物を整理してチェックアウトすると、真っ直ぐバス駅まで歩いた。バス駅ではサイカーのドライバーが、世話を焼いてくれて、問題なく切符を買えた。バスを待っている間、ドライバーがお茶でも飲んでいろと言うので、素直に従って、駅内部の路上喫茶店で200チャットのインスタント・コーヒーを飲んでいた。
バスが来る間、話しかけてきた何人かのうちの一人にその後のルートの行き方などを聞いた。基本的に、駅周辺にいる人々はおせっかいで親切だ。そんな人々に急かされて、到着したチャンター行きのバスに乗り込んだ。
チャンターまでの道は未舗装の区間も多く、バスは縦に横に揺れながら、のんびりと田園風景のなかを走った。見渡す限りの広大な農地や湿地、または荒れ地を眺めながらのバス旅は、海外ならではだ。バスはいつしか、くねくねと曲がる急な坂道を登り始めた。あいかわらず揺れは激しいが、スピードは遅いので、心配していたバス酔いには至らなかった。
チャンターへは4時間ほどで到着した。02年度版のガイドブックには、外国人には入域料なるものが徴収されるとあったが、オフシーズンだからか、撤廃されたか、道中どこでも求められなかった。
到着したバス駅は町の中心部にあり、今回はサイカーの誘いに乗らず歩き出すと、バイクに乗った男が宿を紹介すると声をかけてきた。通常、相手にしない方が良い輩だが、フリーだと言うので、最悪、また2ドルぐらい払って追い払おうと思い、誘いにのって、バイクの後ろにまたがった。
男は当初、友達が経営するゲストハウスに連れて行くと行っていたが、他の男がコテージ風のホテルのチラシを見せると、いったんそのホテルへ私を連れて行った。事前に5ドルぐらいの宿と言っておいのだが、案の定、そこは少し高めで、高いと告げると、いよいよ彼の友人のところへ連れて行ってくれた。連れられて行った友人の宿も5ドル以上の料金設定だったと思われるが、バイクの男が交渉してくれて、朝食抜き&エアコン使用不能(部屋に付属はしている)で5ドルで宿泊できることになった。私が部屋をそのゲストハウスに決めると、男は握手をして、タクシー代すら要求することなく去っていった。
道路を挟んではいるが、海の近いそのゲストハウスは、メインの建物も新しく、さらにコテージを拡張建設中で、私がとった部屋も、ダブルサイズのベッドにトイレとシャワーもついていて、エアコンは使えない約束だが、天井にファンがあり、また角部屋のため、窓が二つあって通気もよく、5ドルの部屋としては十分以上に快適だった。
部屋に落ち着いて、しばらくしてからさっそく海を見に歩いた。村のメインの通りから海を望めるのだが、海岸沿いを大きく占領しているリゾート・ホテルを迂回せねばならなく、少し歩くが、苦にするほどではなく数分で広大なビーチへたどり着いた。チャンターのビーチはゴミも少なくきれいなのだが、砂の質のせいか、波が濁っているため、いかにも南国ムードの漂う、明るく開放的なビーチとは違い、良く言えば庶民的な、悪く言えば少し悲しげな海だった。ビーチと言うよりは海水浴場、リゾートと言うより潮干狩りだ。しかし広大な砂浜はとても歩いて端から端まで行こうという気も起きないほどで、その点では日本の海水浴場のようにイモ洗いという事態には陥らなさそうではあった。
しかし到着時より薄々気づいてはいたのだが、どうやら外国人観光客は私一人以外にいないのではないか?(後に一組の欧米人老夫婦とすれ違った)。泳いでいる人も誰もいないし…。まだ午後3時ぐらいだったので、十分泳げるはずだが、ビーチは閑散としていた。結局二日間滞在したが、ついに泳ごうという気持ちがわかず、散歩したり、読書をしたりでチャンターに別れを告げることとなった。
朝起きてすぐ宿の用意した、例によって簡素な朝食を胃袋に詰め込んで、すこし近所を散歩した。宿の目の前には市場があり、各店舗にはそれぞれ食料品や衣料品、雑貨などが並び、それらを買い求める人でごった返す様は、他のアジアの国々同様だ。行き交う人々にインド系の人種が増えたのが、ミャンマーに来て一番大きな違いであるように感じる。また道路を走るバスやトラック、自動車の年代が異常に古く、ほとんどが80年代か、古いものでは私よりだいぶ年上のトラックも未だ現役で活躍している。ヤンゴンでもパテインでも道路の状態は悪く、社会主義の国であることを強く感じさせる。
散歩から戻り、荷物を整理してチェックアウトすると、真っ直ぐバス駅まで歩いた。バス駅ではサイカーのドライバーが、世話を焼いてくれて、問題なく切符を買えた。バスを待っている間、ドライバーがお茶でも飲んでいろと言うので、素直に従って、駅内部の路上喫茶店で200チャットのインスタント・コーヒーを飲んでいた。
バスが来る間、話しかけてきた何人かのうちの一人にその後のルートの行き方などを聞いた。基本的に、駅周辺にいる人々はおせっかいで親切だ。そんな人々に急かされて、到着したチャンター行きのバスに乗り込んだ。
チャンターまでの道は未舗装の区間も多く、バスは縦に横に揺れながら、のんびりと田園風景のなかを走った。見渡す限りの広大な農地や湿地、または荒れ地を眺めながらのバス旅は、海外ならではだ。バスはいつしか、くねくねと曲がる急な坂道を登り始めた。あいかわらず揺れは激しいが、スピードは遅いので、心配していたバス酔いには至らなかった。
チャンターへは4時間ほどで到着した。02年度版のガイドブックには、外国人には入域料なるものが徴収されるとあったが、オフシーズンだからか、撤廃されたか、道中どこでも求められなかった。
到着したバス駅は町の中心部にあり、今回はサイカーの誘いに乗らず歩き出すと、バイクに乗った男が宿を紹介すると声をかけてきた。通常、相手にしない方が良い輩だが、フリーだと言うので、最悪、また2ドルぐらい払って追い払おうと思い、誘いにのって、バイクの後ろにまたがった。
男は当初、友達が経営するゲストハウスに連れて行くと行っていたが、他の男がコテージ風のホテルのチラシを見せると、いったんそのホテルへ私を連れて行った。事前に5ドルぐらいの宿と言っておいのだが、案の定、そこは少し高めで、高いと告げると、いよいよ彼の友人のところへ連れて行ってくれた。連れられて行った友人の宿も5ドル以上の料金設定だったと思われるが、バイクの男が交渉してくれて、朝食抜き&エアコン使用不能(部屋に付属はしている)で5ドルで宿泊できることになった。私が部屋をそのゲストハウスに決めると、男は握手をして、タクシー代すら要求することなく去っていった。
道路を挟んではいるが、海の近いそのゲストハウスは、メインの建物も新しく、さらにコテージを拡張建設中で、私がとった部屋も、ダブルサイズのベッドにトイレとシャワーもついていて、エアコンは使えない約束だが、天井にファンがあり、また角部屋のため、窓が二つあって通気もよく、5ドルの部屋としては十分以上に快適だった。
部屋に落ち着いて、しばらくしてからさっそく海を見に歩いた。村のメインの通りから海を望めるのだが、海岸沿いを大きく占領しているリゾート・ホテルを迂回せねばならなく、少し歩くが、苦にするほどではなく数分で広大なビーチへたどり着いた。チャンターのビーチはゴミも少なくきれいなのだが、砂の質のせいか、波が濁っているため、いかにも南国ムードの漂う、明るく開放的なビーチとは違い、良く言えば庶民的な、悪く言えば少し悲しげな海だった。ビーチと言うよりは海水浴場、リゾートと言うより潮干狩りだ。しかし広大な砂浜はとても歩いて端から端まで行こうという気も起きないほどで、その点では日本の海水浴場のようにイモ洗いという事態には陥らなさそうではあった。
しかし到着時より薄々気づいてはいたのだが、どうやら外国人観光客は私一人以外にいないのではないか?(後に一組の欧米人老夫婦とすれ違った)。泳いでいる人も誰もいないし…。まだ午後3時ぐらいだったので、十分泳げるはずだが、ビーチは閑散としていた。結局二日間滞在したが、ついに泳ごうという気持ちがわかず、散歩したり、読書をしたりでチャンターに別れを告げることとなった。