蘇州にて
旧正月を迎える蘇州の街は、人混みに溢れていた。高級ブティックの紙袋をたくさん下げた若い女性や、正月飾りを抱えた家族連れ、友人達とひとときを過ごす少年少女。
夕焼けに染まる街の中で、それはまるで蜃気楼のようだった。傍若無人な少年達。ままならない余生を送る老人。裕福さに満ちた家族。浪費に幸福を感じる女性。
人の流れをさかのぼる私の足取りは重く、孤独だった。人々はまるで私自身の過去・現在・未来を示唆しているようだ。それらは波のように押し寄せ、私をさらっていった。
抜け殻になった私は、ただひたすら霞の上を歩くしかなかった。
成都から昆明の列車にて
靴を履いたままおじさんは寝台車の二段ベッドへ這い上がろうとしていた。足をバタバタさせてもがいている下を、鉄道警察官がしかめっ面で通り過ぎようとしている。それをみていた、さっきまで退屈そうに携帯をいじっていた少年が必死に笑いをかみ殺していた。冷徹な印象の現代っ子のふとした笑顔は、まだあどけない子供のそれだった。
乞食
中国では、やたらと物乞いをみた。老若男女いろいろいるが、やはり気になったのは、子供の物乞いや子供(幼児)を抱えて物乞いをする乞食だった。子供が人々の哀れみを誘うダシに使われているのは明らかだ。
ベトナムやラオスにはそれほど多くはみなかったが、レストランで食事をしているときに、たまに寄ってきたりした。子供の物乞いはみない。ベトナムでは体の不自由な物乞いが目立った。のどかなラオスの首都・ビエンチャンでは貧民街をみた。
何も所有することなく日々の食を乞う生き方は、ブッダの言葉をかりれば、ある意味、安息の道へと向かう究極の姿だ。ルアンパバーンでは、朝、托鉢をする僧侶から、さらに恵んで貰っていたおじさんがいた。彼こそ本物の修行僧かもしれない。
旧正月を迎える蘇州の街は、人混みに溢れていた。高級ブティックの紙袋をたくさん下げた若い女性や、正月飾りを抱えた家族連れ、友人達とひとときを過ごす少年少女。
夕焼けに染まる街の中で、それはまるで蜃気楼のようだった。傍若無人な少年達。ままならない余生を送る老人。裕福さに満ちた家族。浪費に幸福を感じる女性。
人の流れをさかのぼる私の足取りは重く、孤独だった。人々はまるで私自身の過去・現在・未来を示唆しているようだ。それらは波のように押し寄せ、私をさらっていった。
抜け殻になった私は、ただひたすら霞の上を歩くしかなかった。
成都から昆明の列車にて
靴を履いたままおじさんは寝台車の二段ベッドへ這い上がろうとしていた。足をバタバタさせてもがいている下を、鉄道警察官がしかめっ面で通り過ぎようとしている。それをみていた、さっきまで退屈そうに携帯をいじっていた少年が必死に笑いをかみ殺していた。冷徹な印象の現代っ子のふとした笑顔は、まだあどけない子供のそれだった。
乞食
中国では、やたらと物乞いをみた。老若男女いろいろいるが、やはり気になったのは、子供の物乞いや子供(幼児)を抱えて物乞いをする乞食だった。子供が人々の哀れみを誘うダシに使われているのは明らかだ。
ベトナムやラオスにはそれほど多くはみなかったが、レストランで食事をしているときに、たまに寄ってきたりした。子供の物乞いはみない。ベトナムでは体の不自由な物乞いが目立った。のどかなラオスの首都・ビエンチャンでは貧民街をみた。
何も所有することなく日々の食を乞う生き方は、ブッダの言葉をかりれば、ある意味、安息の道へと向かう究極の姿だ。ルアンパバーンでは、朝、托鉢をする僧侶から、さらに恵んで貰っていたおじさんがいた。彼こそ本物の修行僧かもしれない。