深夜発のバスは15時間をかけて翌朝フェイサイへ着いたが、空腹とバス酔いで胃袋を握り締め付けられているような気分であったため、適当なゲストハウスに滑り込み、数時間ベットに横たわっていた。
しばらくしてからタイへ出国するため船着場へと向かい、渡し舟にてメコン川をはさんで対岸に位置するタイのチェンコンにわたり、30分ほど滞在した後、フェイサイに戻ってイミグレーションにて再びラオスへの入国検査を受けた。これでまた15日間、ラオスに滞在できる。
ゲストハウスで翌日のスローボートのチケットの手配をすませ、その日は早々に寝た。
フェイサイからルアンパバーンへ下るスローボートは、途中、パクベンと言う町での一泊をはさんで、二日間をかけての移動となる。昔は主要な交通機関であったボートは、現在、道路の建設が進み、雨季を除いては、物好きな旅人のための観光手段の一つでしかない。その日も乗客のほとんどは、海外からの旅行者だった。
ゆるやかなメコンの流れをすべるように進むボートからの景色は、長閑でもあり、また自然の強大な力による痕跡に息を呑むような瞬間もあり、裸で泳ぐ子供たちあり、時には川沿いの村から村へと物資と人が行き来するあわただしさあり、流れる死んだ牛あり、なかなか飽きるとこの無いものであった。
しかしながら二日目ともなると、さすがに流れる景色にも飽きてしまったが、隣に女優かと見紛うほどのスイス人美術女教師と同席になり、しばらくは彼女の美しさに見とれて退屈をしのげた。あんな美人とお話できるなんて、海外旅行もしてみるもんだ。
ルアンパバーンへは二日目の夕方に着き、その日は数日前とは別のゲストハウスに宿泊し、翌日空路にてビエンチャンへ向かった。ルアンパバーン空港は、国際便があるとは思えないほどの小さな空港で、ビエンチャン行きの飛行機はB29のようなプロペラ機だった。出発予定時刻から5分ほど遅れて搭乗すると、席に座ってすぐにエンジンが始動し、10分ほどで離陸した。
翌日、ビエンチャンからさらに飛行機を乗り継いでパクセへと向かうつもりだったのだが、チケットが取れず、しかたなくバスでむかった。ビエンチャン発のバスは、今回、行き当たりばったりで行こうと思い、適当にバス乗り場へ向かったところ、ちょうどパクセ行きのバスが出発するところで、うまいこと乗り込んだものの、なんだかんだ結局パクセに到着したのは、午前1時を過ぎたころだった。バスステーションは真っ暗で、動く気力も失せていたので、ベンチで朝まで寝ようと思い横になると、どこから現れたのかトゥクトゥクのドライバーに起こされ、同方向へ向かうらしい数名の乗客とともに市街地へと向かった。
適当なゲストハウスの前で降ろしてもらったが、そこは完全に閉まっていて、他の数件も当たってみたが、閉まっているか、いっぱいだということなので、諦めて寺院の近くの公園で朝まで過ごした。
朝、とりあえず飯を食い宿をとり、宿で洗濯物をお願いして、午前中はぐったりしてから、昼飯を食って、明日以降の計画を練っている。ワット・プーへ行きたいのだ。