桑折駅前応急仮設住宅に居住する浪江町民と一緒に、桑折町の歴史家・猪俣さんのご案内で、町内を散策した。
簡単に紹介すると、桑折町は飯坂温泉の隣町で、古くから交通の要所として栄え、伊達氏発祥の地として、またかつては全国有数の銀山を有し、多くの名家が残る歴史ある町だ。
そうそう、「桑折」とかいて「こおり」と読む。旧福島蚕糸官舎跡地が仮設住宅団地として、現在利用されている。
今日は、仮設住宅第2集会所を出発し、奥州・羽州街道の分岐点となった「追分」を見学した後、東北本線桑折駅前にある「異国の丘」歌碑で立ち止まった。「異国の丘」は、シベリアに抑留された日本兵の望郷の思いを歌った昭和の歌謡曲だ。作詞は桑折町出身の増田幸治で、2006年に増田氏を偲んで歌碑が作られた。
「倒れちゃならない祖国の土に たどりつくまでその日まで」
と一節にある。
原発事故により住み慣れた土地を追われ、桑折町に避難する方々がどのような思いでいたかは、実際にはわからない。が、自らの境遇と重ね合わせて涙する方もおられるのでは、という私の勝手な想像をよそに、皆で元気いっぱい歌い、粉雪の舞う中をまた歩き出すのだった。
簡単に紹介すると、桑折町は飯坂温泉の隣町で、古くから交通の要所として栄え、伊達氏発祥の地として、またかつては全国有数の銀山を有し、多くの名家が残る歴史ある町だ。
そうそう、「桑折」とかいて「こおり」と読む。旧福島蚕糸官舎跡地が仮設住宅団地として、現在利用されている。
今日は、仮設住宅第2集会所を出発し、奥州・羽州街道の分岐点となった「追分」を見学した後、東北本線桑折駅前にある「異国の丘」歌碑で立ち止まった。「異国の丘」は、シベリアに抑留された日本兵の望郷の思いを歌った昭和の歌謡曲だ。作詞は桑折町出身の増田幸治で、2006年に増田氏を偲んで歌碑が作られた。
「倒れちゃならない祖国の土に たどりつくまでその日まで」
と一節にある。
原発事故により住み慣れた土地を追われ、桑折町に避難する方々がどのような思いでいたかは、実際にはわからない。が、自らの境遇と重ね合わせて涙する方もおられるのでは、という私の勝手な想像をよそに、皆で元気いっぱい歌い、粉雪の舞う中をまた歩き出すのだった。