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7月, 2009の投稿を表示しています

VARANASI

 そんなこんなでバラナシ10日目。例によって何もしてない。日食は無事見れたものの、他の日はだいたい本を読んだり、ガンガー(ガンジス川)沿いを散歩をしたりして過ごしている。  結構、みんなバラナシを気に入ってるみたいだけど、なんでかなぁ?臭いし汚いし停電多いし、決して良いところじゃないと思うのだが???まぁ文句を言いつつ、10日もいてなんだが。  先日は、火葬場を訪れた。ガンガーに面してある火葬場は、日本のそれとは趣が異なり、ただ薪を重ねてその上に死体をおき、外で行われ、遺灰はガンガーに流される。燃えさかる薪からひょっこりのぞいた遺体の足や、火葬開始直後の未だ人の形をなした肉塊は、死の、人間の最後の瞬間をまざまざと見せつけ、生と死の有り様を直感させる。  ちなみに火葬場は撮影厳禁なので、写真はありません。雑な火葬だけど、木箱に詰め込まれて、コンクリートの釜で焼かれるのも、人間味が無いっちゃ、無いかなぁ。  きっと誰もが感じることだろうけど、死を意識しない生は空虚だ。それは愚鈍で、生命への冒涜に他なら無い。でもきっとまた日本に帰って、日々の暮らしに追われると、忘れてしまうのだろう。  昔私は、人間はいつか死ぬのだから、死ぬために生きている人間は空しい、だから人は死ぬために生きるのではなく、目的を持って生き、結果として死ぬのだと考えた。  今はまた、やっぱり人は死ぬために生きていると思っている。でも空しいとは思わない。せえいっぱい生きて、安らかに死ねたら、まぁいいかな。そう思う。  ガンガーの流れは、静かに弛みなく続いている。雨季だというのに、水量は少なく、ボートで中州へわたることもできる。今日も多くの巡礼者がこの川で身を清め、祈りをささげていた。

RAJGIR

 ブッダ・ガヤからは、日帰りでラージギルも訪れた。ラージギルには法華経の舞台となった霊鷲山ことグリッドラクータ山や、そのすぐ側には日本山妙法寺の建てた仏塔がある。  ガヤからラージギルへは、近くの町のバス・ステーションまでオート・リキシャ(インドのトゥクトゥク)で向かい、そこからバスで2時間強かかる。  日が暮れる前には戻ってこようと思っていたので、朝7時に宿を出て、路上喫茶店でチャイを飲みながら、居合わせた客にバス・ステーションまでの相場を聞いた。それから通りすがった流しのドライバーを捕まえ、バス・ステーションへ到着すると、タイミングよくラージギル行きのバスが出発するところであった。後でわかったのだが、ラージギル行きのバスは一日に何本もあるらしい。  バスは見渡す限りの大地や農作地を快走し、途中の大小の町を中継しながら、10時過ぎにラージギルへと到着した。まわりの乗客や乗務員に促されて降ろされた場所は、駅のある中心部から1kmほど離れた温泉地の前だった。ここにはインドでは珍しい温泉が湧いているのだ。  ガイドブックを持たずに来てしまい、目的の霊鷲山がどこにあるのかわからなかったので、とりあえず温泉施設のなかにはいると、たくさんのインド人が沐浴をしたり、体を洗ったり、なかには洗濯までしてるおばちゃんもいた。  ちなみに温泉施設といっても、日本の銭湯のようなわけではなく、ヒンドゥー寺院のような建物で、例によってインチキ坊主がかってに家族の健康を祈りだし、寄進を要求してきたりするので、一瞬、浸かろうかなぁ、っと思ったが、面倒なのでやめといた。  近くの付近を見渡せる小高い丘に登り、遊びに来ていたインド人の若者に霊鷲山の場所を訪ねてみたが、いまいちよくわからない。そこで丘をおりて、温泉地の目の前のレストランで昼食を食べつつ、給仕係に聞くと、霊鷲山は5kmほど離れているとのことで、馬車を頼んでもらうことにした。  昼食後、待たせていた馬車に乗り、バスで来た道を引き返す形で、霊鷲山へ向かった。霊鷲山の参道へ向かう道路は整備されており、巨大な山門がそびえ立っていた。山頂へはロープウェイがあるということで、乗り場を探すと、ロープウェイというよりは、スキー場のリフトのようだった。  怖い。スキー場ならともかく、下は岩山である。しかも此処はインド。安全対策は確実に期待できない。おそら

ECLIPS in VARANASI

 前日の早朝は雨で、こりゃ当日も厳しいかなぁっと思っていたら、奇跡的に晴れて、みごとな皆既日食を観測することができた。みんなの願いが通じたね。  実は日食のことなんて、旅の途中でたいして念頭においていなくて、おそらくは混雑するだろうバラナシを避ける日程を考えていたくらいなのだが、来て良かったよ。素晴らしかった。一生のうちでなかなかできない経験をさせていただいた。  太陽が徐々に「欠けて」いく様子は、光がきつすぎて、特に何の準備もなかったので、よく見れなかったが、太陽と月が完全に重なり、あたりが暗くなったっ瞬間は、多くの人が感嘆の声を上げ、私も息を呑まずに入られなかった。虚空に光輪が不気味に輝き、うっすらと光を帯びた雲が風に流れていく様子を、あくことなく眺めた。日食があけ、暗闇に光が差した時もまた、まさに奇跡を見ているようで、心が震えた。この世に太陽の光が戻り、明るくなるにつれ、その暖かい光が何より有難く感じられた。  サンヨーの安デジカメでは、きれいに撮影できなかったけど、まぁ見てやってください。肉眼で見た日食の瞬間は、もっと光の輪が小さくみえました。 http://www.youtube.com/watch?v=jTjMrlBQjQI 右のリンクからも視聴できます。

BUDDHA GAYA

 根がはったかのような重い腰をようやく上げて、プリーを脱出し、鉄道に揺られること18時間、聖地ブッダ・ガヤへ到着したのが13日。私にとって、インド最大のハイライトであったはずだが、ラーギギルへの日帰りを含め、さらっと3日間で移動してしまったのは、日本、中国、ラオス、タイ、ミャンマーと仏教色の強い国を旅し、総仕上げとしてインドに赴いた割には、あっさりしすぎか。  名前の通りブッダ・ガヤはブッダが長い瞑想の果てに覚りを得、まさに仏教が誕生した地だ。その瞬間を見守っていた菩提樹の末裔とされる木の前には、巨大な寺院がたち、多くの敬虔な信者たちが参拝に訪れている…、と思いきや、知っての通りインド最大の宗教はヒンドゥー教であり、参拝客もほとんどがヒンドゥー教徒のようで、巡礼と言うよりは観光のノリで来ているように思えた。  もちろん熱心に瞑想をする僧侶や、スリランカやマレー半島からきた巡礼ツアーの一団もいたりと、聖地であることを感じる一面もあるし、ヒンドゥー教徒のインド人にしても、仏教がヒンドゥー教の元であるバラモン教から発生したことや、ブッダがヴィシュヌ神(だっけ?)の化身であるという位置づけから、それなりに真剣に参拝してはいると思うのだが。いやたぶん。  ところでブッダとは「覚った人」とか「目覚めた人」という意味で、本来、固有名詞ではないらしいが、とりあえず仏教の元祖ゴータマ・シッダールダ個人の名前として使用しています。あしからず(笑)  さて私としても、久しぶりの観光名所でもあることから、その菩提樹の前にそびえ立つマハーボディ寺院の存在感は圧倒的に感じられた。残念なことに、要所要所で先を急ごうとする、いつもの「勝手についてきたガイド」が、巡礼気分をぶちこわしてくれたため、心行くまで聖地を堪能できなかった訳だが。ま、悪い奴ではなかった。しかし奴らのしつこい勧誘がうざったくって、そそくさと聖地を後にした感も否めないこともない。  結局、ガイドの誘いにのっておみやげ屋にも行き、ついつい1000ルピーも出して、嘘かホントか菩提樹で作ったという数珠を買ってしまった。まぁ、家には良いおみやげが出来たかな。  日本寺へも行き、なんちゃって座禅もしてみた。さすが聖地ブッダ・ガヤには各国の寺院があり、日本寺も勿論あるのだ。残念ながら坊さんは不在で、教えを受けることは出来なかったが、そこは三つ

SANTANA LODGE

 インドにも多くの日本人旅行者が利用する、いわゆる日本人宿が各所に点在する。結局、約20日間過ごしたプリーのサンタナ・ロッジもその一つだ。オーナーのフォクナ氏は日本語ペラペラで、兄のクンナ氏は奈良でインド料理屋を経営しているそうだ。  プリーでお祭りがあったこともあって、私の滞在中には最大30人以上の日本人旅行者が宿泊していた。  日本人が多い&日本語が通じるのもサンタナの魅力だが、長期滞在する人間が多いのは、至れり尽くせりのサービスを低価格で享受できる点が大きい。なんせ一泊130ルピー(1円が2.08ルピー)で朝食&夕食&朝晩のチャイ付きなのだ。昼食は追加料金が必要だが、朝食と昼食とチャイは部屋まで運んできてくれる。ロビーには4000冊の日本語の書籍があり、インターネット・ルームもあり、さらに鉄道や飛行機のチケットの手配も可能だ。  そしてこのサービスがために、徐々に出かける気力を奪われ、多くの人がダラダラと過ごしてしまう。気づけば一週間、二週間、なかには一ヶ月以上なんて人もいる。  そんなわけで、おそらく人生で最も無意味な時間を骨の髄まで堪能してしまったわけだが、無駄な時間というのが、自分にとってなによりも贅沢であるとも感じた。退屈であることのすばらしさよ(笑)。とはいえ、他のいろんな場所と同様に人との出会いはすばらしかった。  もちろん沈没の原因は自分にも多大にあり、タイぐらいから薄々気づいてはいたのだが、旅自体に飽きてきた感もあるのだ。実際、アンコールワット以降、ほとんど観光らしい観光もしていない。名所巡りが旅のすべてではないが、わざわざ海外に来て、部屋でずっと本を読んでいるのもどうなのか。  個人的には、やっぱり三ヶ月ぐらいの旅が限度かなぁ。それ以上になると情報過多でキャパシティがオーバーしてしまう気がする。なにを見ても無感動になってしまっている自分がいるのだ。その反面、死ぬまで旅を続けたいという理想もあるのだが…。  おそらく私が一年以上の旅をするには、三ヶ月に一回は一ヶ月程度の沈没期間が必要だ。っと思う。まぁタイミングや期間はもっと細かくても良いが。そうすることで自分なりに整理がつくように思う。今回の反省点は、アンコールワットまでかなり飛ばし気味で旅をしてきて、後半になって萎えてきてしまったことだ。この反省が活かされるような長期旅行は今後、もう無いだろ

TICKET TO JAPAN

 いまだプリーにて泥のような日々を送っている。  当初の予定は南下であったが、これをやめてブッダガヤなど、ブッダの足跡を数箇所たずねたのち、デリーからインディアン・エアラインで関空へ飛ぶ。着予定は来月5日。チケットはすでに抑えた。大阪で数日過ごしてから、ゆっくり福島を目指すつもりだ。