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6月, 2009の投稿を表示しています

PURI

 プリー着・・・、すでに何日かわからなくなるくらい、だらだらしている。ほんとに何もしていない。ぐだぐだしゃべったり、タバコすったりしているうちに、食事の時間が来て、食っちゃ寝、食っちゃ寝・・・。  まぁそんなわけで書くこともないので、プリーの子供たちの写真を。

KOLKATA AGAIN

 プリー行きの切符が現在、若干の値上がりをしているため、またコルカタに停滞している。さすがにダラダラするのも飽きて、先日は二日続けてガラにもなく、マザー・テレサ由来の教会へ行き、ボランティアとして介護施設へ派遣されてきた。  二日間とも一日限りの体験コースのような形で訪れたため、シスターの指示する施設へ派遣され、簡単なお手伝いのみをしてきたが、ほとんど言葉の通じない被介護者やスタッフとなんとかコミュニケーションをとりながらのボランティア体験は、とても良い経験だった。そしてマザー・ハウスのシスターも、また施設の誰もが見物客のようなボランティアを温かく迎えてくれた。  さすがにインドらしく、施設のサービスは若干、雑(笑)なのだが、被介護者の方々は、私の見る限り快適そうに見えた。また女性と男性が完全に分けられているのも、インドらしいなぁっと思った。二日間とも、被介護者の男女は顔を合わせることすらなかった。

DARJILING TEA LIFE

ダージリンと言えば、お茶でしょう。異論はあろうとも、此処に来たにはお茶を買って帰らなければ、意味がない。  そういうわけで、おいしいお茶を求めて、市街をウロウロしたわけだけど、このダージリンという町は、山の尾根に沿ってあるので、どこに行くにも坂を上ったり降りたりしなくちゃいけない。なんだか毎日、登山気分だ。  まず最初にNATHMULLSという老舗のお茶屋さんを訪ねた。NATHMULLSはコルカタで出会ったインド通の佐藤さんに教えてもらったお店だ。カウンターにはずらりとスタンダード・クラスから、ミディアム、プレミアムと各2種類から3種類が並んでいて、親父さんに香りをかがせていただいたが、なんだかおいらの貧乏鼻にはドレもコレもいっしょに思える。  まぁ、なんにしても飲んで見なきゃわからないだろうと、ミディアム・クラスをお一つたてていただいたが、これがもぅ見た目の薄さにも関わらず、香りも味もしっかりしていて、さすが!っと唸らずにはいられない一品だった。ちなみにお値段は一杯25ルピー。安食堂ならカレーが食べれる値段だ。道ばたのチャイが一杯5ルピーなので、そのへんからも高級感がわかっていただけるだろう。  さっそくお茶っ葉はいくらか聞いてみたところ、ミディアム・クラスは150gで240ルピーだとのこと。日本円にして約600円くらい。インド国内の物価事情を考えると、決して安くはないけど、そこはほら。おみやげだし。ふーむ…。日本へ送ることも出来るそうなので、決めても良かったが、こういうときはやはり他店との比較も大事であろうと、いったん店を出た。  さすがお茶の名産地だけあって、茶店は行く先々にある。またガイドブックによれば、近くにはインド産の紅茶の15%を生産するハッピー・ヴァレー紅茶園もあるとのこと。各店舗を巡るのも、なんだか面倒なので、一気に本丸を目指そうと、紅茶園へ進路を定めた。  ダージリン駅をぬけてスィッキム地方へ向かう基幹道路をそれて工場へ向かう道は、見渡す限りの茶畑を九十九折りに下っている。茶畑には、今年の二番茶を摘むおばちゃんたちが、篭をさげて腰を折っていた。しかし工場は稼働しておらず、人気もなかった。密かに工場で直販するお茶を安く購入できやしないかと目論でいたが、当てが外れてしまった。また茶店で最も香り高い二番茶は、今年はまだ精製中だと聞いたので、もしや工場に

GREEN HOUSE RESTRANT

 午後8時を過ぎて、ふと深夜の空腹に不安を思い、さしせまった餓えは感じないものの、近所のレストランへでも行こうとベッドを離れると、ちょうど宿の同室のやや年輩のナニ人かわからないおじさんも出かけるところだった。  ドミトリー・ルームの施錠に手間取い、少し遅れて宿をでると、道は真っ暗で霧が立ちこめていた。霧の夜道を一人でウロウロする気にはならなかったので、最寄りのレストランに入ると満員だった。仕方なく少し歩くと、ダージリンでも珍しいだろう白熱灯の穏やかな灯りを見いだした。ドアを開けると老婆と少女が困惑げな表情を見せて、モモ(餃子のようなもの)なら用意できる旨をたどたどしい英語で伝えてきた。  もとより寝るまでの数時間を"もたせる"ための軽食のつもりだったので、モモでよいと言ってなかへ入ると、同室のおじさんが、予約でもしたのだろうか、豪華な夕食を既に食べ始めていた。  店の奥からあらわれた青年が、少し待てばチョウメン(焼きそばのようなもの)をだせるというので、それではチョウメンをと頼むと、さっそく奥で調理を始めたようだった。  簡素な店内でひときわ目立ったのは、正面に飾られたブランコで仲むつましい様子の姉弟の絵画だったが、私の目を引いたのは横の壁に貼られた寺院の写真のプリントだった。湖の畔にたたずむ寺院には多くの信徒が参拝に向かっている。  気になったので席を立って眺めていると、調理場から出てきた青年が、カトマンドゥのヒンドゥー寺院だと説明してくれた。建物の作りや、またレストランの(おそらく)一家がチベット系であることから仏教寺院だと早合点していたため、その説明は意外だった。  しばらくして料理がきた。即興でだされたそれは何とも味気なく…、っというか不味かった。ケチャップで無理に味を殺して食べたが、隣のおじさんの晩餐とは比較のしようもないほど粗末で、相席にしなくて良かったと、心から思ったほどだった。  青年は笑顔でおいしいか?っと尋ねた。私はおいしいよ、っと答えた。老婆と目が合うと、にっこりと笑顔が送られてきた。少女が水を持ってきた。水は外国人である私のために湯冷ましを用意したのだろう、コップの縁に水滴があり、まだ生温かった。ありがとう、と言うと、少女も消え入るような小さな声で、どういたしまして、と笑顔で言った。  仏陀の言葉に思い至った。正確には忘れ

KOLKATA DAYS

 ホテル・パラゴンには数名の日本人の他、韓国人の旅人もたくさんいる。なかには、すっかり沈没気味の韓国人(朝青龍似)もいて、欧米人やインド人にはきっと見分けがつかないだろう、東洋人の一団で和んでいる。  そういう私もたいした観光もせずに、ダラダラと日々を過ごしている。7年ほど止めていたタバコにも、すっかり体が慣れてしまい、路上の喫茶店でチャイを飲みながら、または宿で語らいながら、安タバコを楽しんでいる。人にはさんざん止めろとかいいながら、このていたらく。まぁまぁ、おいらはそんなやつです。とはいえガンジャには、やっぱりなんとなく手がでない。偏見だと笑われそうだが、私は私なりでありたい。タバコで十分だよ。どっちも体に悪いには違いないがね。  昨日今日と、重い腰を上げて出かけた先は、近所の公園と、カーリー寺院という、ヒンディーのお寺だ。公園にはイギリス統治時代の遺産であるヴィクトリア記念堂があり、放牧されている羊やフットボールやクリケットを楽しむ様子との対比が、おもしろい。  カーリー寺院では、毎日、ヒンディーの女神であるカーリーの象徴の黒い石に、生け贄として捧げられるヤギの首をはねるそうだが、それも見ようと意気込んで、早朝6時から並んだのだものの、参拝に訪れた多数のインド人の圧倒的なパワーに負けて、結局、石だけを見て、すごすごと退散してきた。なにかものすっごく、気力と体力を奪われた。でも院内で、インド人にもみくちゃにされて、すこしこの国に来た実感がわいた気がする。  朝は、市場にも出かけた。ニューマーケットの裏側にある食品市場は、肉、魚、野菜と、部門によって建物が違い、しかしどの市場も一様にけだるい雰囲気に包まれていたのは、私の訪れた時間が遅く、既に日差しが強く照りつけていたからか。  それでも市場は、他のアジアの国々同様、人々の暮らしの一端が見えるようで、楽しい。近くに住んでいると思われる子供達からの歓迎を受けたほか、売り手のおじさん達も、通りすがりのひやかしの客を、比較的あたたかく迎えてくれた。

こるかた

カルッカッタ。っと呼んだほうが、なじみがある人の方が多いのだろうか。しかしいまでは「こるかた」に読み名が変わったそうで、バンコクにいてもほとんどの人が、そのように呼んでいた。 とりあえず無事、空港から宿までこれた。最初の難関は突破っと言いたいところだが、コルカタの空港は閑散としていて、意外なほど"引き"もなかったので、ちょっと肩透かしの間も否めない。空港からは、バンコクで紹介してもらった韓国人のヂョンミン君と、空港ロビーで声をかけた欧米人のおっさんと三人で、サダルストリートという安宿が集中しているところまでタクシーに乗った。 運転手は無口で、ときどき人やバイクを引きそうになりながら、アグレッシブなドライビングテクニックを披露してくれた。助手席の私はそのたびにひやひやしながらも、窓を流れる雑然とした風景に見入った。インド人、カラス、牛、犬、インド人、インド人。あたりまえだが、見渡す限りインド人だ。来たねぇー、インド。ぎょろりとした彼らの目を飽くことなく見つめ、見つめられながら、私はインドを行くのだ。 とりあえずしばらくはコルカタだ。暑いし、のんびりするよ。