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8月, 2009の投稿を表示しています

東京→福島

 東京では例によって姉宅にお世話になり、また旧友との親交を深め、翌朝には福島へ向かった。今回、お会いできなかった皆様、またの機会にでも^^  長野で十八切符を買っていたので、東京から福島までも、在来線での移動になったわけだが、乗るたびに、東北本線はつまらないなぁっと思う。なんつーか、乗っていてもなんの喜びも感じない。正直、我慢して乗ってる感じだ。新幹線もつまらないと思うが、東北本線は輪をかけて面白みがない。同じように東海道本線もつまらない。やっぱり、もう少し早く出発して、水郡線にでも乗れば良かった。  福島は雨だった。駅前には早稲田大学のサイクリング部が梱包していた自転車をひろげて、今まさに旅のスタートを切ろうとするところであった。聞けば今日は近くの公園で野宿だという。  昔雑誌でシェルパ斉藤さんが、「旅の終わりに考えることは、次の旅のことだ」と言われていたが、僕もそんな気持ちだ。いつかまた至極の旅を。

長野

 大阪に続き、初長野だ。松本までは来たことがあったが、県庁所在地である長野市には来たことがなかったのだ。  そして今回のナビゲーターも麗しき女性である。インドで出会い、私より数日早く帰国していたマヤちゃんに、ずうずうしくも案内をお願いしたのだ。  各地でうら若き乙女にご同行していただけるなんて、旅をして良かったなぁ(笑)  駅を出るとファミリー・カーを借りたマヤちゃんが迎えてくれた。若干、イヤな予感がしたが、結論から先に行えば、事故もなく、こうして無事にブログを書いている。  向かった先は戸隠という長野市から車で一時間ほどのところだ。蕎麦が食べたいという私の希望を聞いて、有名な蕎麦処へと連れて行ってくれたのだ。オリンピックで開発が進んだとはいえ、当日雨だったこともあり、戸隠までの道は、なかなか険しかった。森の中の道を抜け、入ったのはうずら屋という蕎麦屋だ。悪天のためか店は空いていたが、有名店らしい。  天そばを注文し、しばらくインドの思い出話に花を咲かせた。なんせ別れてからまだ10日も経っていないのだ。昨日のことのように…、というよりはまだ旅の途中のようで、楽しいひとときだった。しかしここは日本。天そばの価格はインドの10倍ぐらいなのだ。もちろんその分クオリティも高い。帰国後初蕎麦は考えられる限り最高のモノを食べたよ。おいしかった。    市内に戻り、善光寺を訪れた。雨はまだ降っていて、夕刻にさしかかった善光寺はやや寂しかったが、凛としてそびえる存在感に圧倒された。今更ながら日本の寺院もすばらしいね。心が静かになる。  善光寺を後にして、近くのカフェでまったりした。のんびりした時間を過ごしていると、やっぱりインドが恋しくなる。

大阪

 日本到着。そして日本で初めて口にしたのは、キャベツだった。  そして初の大阪観光である。案内をしていただいたのは、カンボジアでお会いしたともちゃんだ。なんと空港まで迎えにまで来ていただいて、恐縮の限りだが、もつべきは友達だなぁっと、改めて思いました。ありがとうよ。  初の大阪は、思っていたよりも、ゴミゴミしていなくて良かった。通天閣に行き、さっそく串焼き屋に突撃して、生ビールと串焼きで、帰国最初の食事としたかったのだが、気づいたらなにげに、付け合わせのキャベツをボリボリ食ってしまった。  その後、道頓堀周辺を散策し、大阪城へも行った。やったね。黄金コースだね。二日目は、昼間はまた道頓堀を一人でウロウロして、夜はまたともちゃんとモツ鍋を食べに行った。うまかった!そして楽しくて楽しくて、ついつい飲み過ぎてしまったよ。今、ちょっとだけ二日酔いだ。  さて今日は長野へ向かうのだ。

DELHI

 たぶんインド、及び今回の旅の海外での最後の更新になると思う。これといってデリーで動き回る気力もないので、後はおみやげを買いにウロチョロするぐらいだ。もはやたいした出来事もないだろう。あっても、きっともぅ驚かない。  ホテルは最後だし、ちょっと奮発して高めの場所にした。っといっても、せいぜい1500円ぐらいだ。テレビとエアコンのあるシングルルームだが、雰囲気はバラナシの安宿の方が良かったな。なんかここはラブホテルみたいだよ。ポイントは部屋で無線LANが利用できることだが、よくよく聞いたら一日100円取られるらしい。まぁいいや。  今日は昼近くに起きて、ニュー・デリー駅近くのメイン・バザールと呼ばれる一帯を、ウィンドウ・ショッピング(?)をしながら散策し、その後、物産店を目指してコンフォート・プレイスに向かったが、変なガキに連れられて、高級みやげ屋に行ってしまった。  くそ暑い中、いちいち声をかけられるので、おっさんにはブチ切れてみたが、子供には弱いのだ。わかっちゃいるけど、せっかくなんでジュースを与えて、一緒に公園でたばこを吸ってたら、ゲホゲホ咽せてた(笑)。  そんなクソ餓鬼と別れた後、自力で政府の物産店にも行ったが、完全に閉まっていた。なぜだ?前の道路が工事中なので、その関係かしら。日曜だから?バカな。  しょうがないので政府物産店をあきらめ、コンフォート・プレイスで買い物をして、メイン・バザールでビールを飲みつつ食事をし、ヨタヨタとホテルに戻った。夜は危険なので、出歩かないのだ。旅慣れつつはあるが、やはりデリーは鬼門なのである。実際ガイドブックをもってウロウロしてると、良くも悪しくもいろんな人から声をかけられる。悪しき場合においても、たいがい私がいろいろ回って、もう帰るところだと知ると、せいぜいみやげ屋に御招待してくれるぐらいだが。  これは旅なれた人でも初心者でも一緒だと思うのだが、要は深夜のデリー着が危ういのではないのだろうか。特に飛行機だと、疲れてるし、急に日本とのギャップに対応するのは、いかなる強者もなかなかしんどいだろう。初日をうまく切り抜けても、当然、最初だからデリー観光に出掛け、そこでまた高額ツアー詐欺が待ってるのだ。  私のような海外初心者が呑気にしてられるのは、比較的安全なコルカタINで、ゆっくりインドに慣れつつあったのと、既に観光に興味を無

AGRA

 多くの別れ難い友人たちに見送られてバラナシを後にし、アーグラーヘと向かった。インドくんだりまで来て、毎日毎日ぐぅたら三昧だけで終わってしまっては何なので、せめてタージマハルぐらいは見ておこうじゃないか。  そしてココからは、ちょっとリッチな旅をしよう!と決めていたので、バラナシ→アーグラーの列車も、エアコン付きの二等寝台だ。ホントは個室の一等寝台に乗りたかったのだが、ちょっとした行き違いで、残念ながら映画「ダージリン急行」のような旅は出来なかった。  ちなみに今まではエアコン無しの三等寝台を利用しており、初めて二等寝台に乗ったのだが、結構、外国人ツーリストの利用も多く、関西系日本人の女子三人組がいた。彼女達は短期のツアー(ガイド付!)だそうで、今となっては立場が逆転して一般化したかと思うほど多い貧乏旅人とは接点がなかったため、話を聞くと妙に新鮮な気がした。  約一時間遅れでアーグラーに到着し、とりあえずどうしようか迷っていると、例によってオートリキシャのドライバーが寄ってくるので、蹴散らしつつ荷物を駅に預け、外へでた。時間は7時。できればデリー行きの列車のチケットを購入してから、ゆっくりと観光したいところだが、チケット・カウンターが開くのは8時からだ。その間、ボーっとしてても仕方がないので、先にタージマハルへ行き、駅に戻ってチケットを買って、それからアーグラー城へ行くことにした。適当なドライバーに事情を説明し、300ルピーで手を打って、オートリキシャに乗り込んだ。  まぁ、タージマハルは説明しません。あっ、そう。って感じ。入場料高すぎ。どっちかというと、アーグラー城の方が見応えあったなぁ。やっぱ、もぅ観光に金使うのやめよう。私がケチだから、つまんなく思っちゃうのかな。でもあんだけのモンを作ったインド人のパワーはすごいよ。それだけは感じた。  というわけで午前中で観光を終え、列車のチケットは都合のいい時間帯のものが手に入らないようなので、バスでデリーに向かうことにして、近くのバス・ステーションへ行った。  アーグラー→デリーのバスは頻繁にあるので、難なく乗り込み、約5時間半でデリー市外のバス・ステーションに到着。さらにそこからは、何言ってんだかわからないおっちゃんのオートリキシャでニュー・デリー駅へ。案の定、勝手に知らないホテルに連行されたので、金を渡してとっとと逃