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11月, 2012の投稿を表示しています

【浪江町】桑折宿軽トラ市出展情報

 浪江町から桑折駅前応急仮設住宅に避難する方々による物づくりサークル「コスモス手づくりの会」による縁起飾りの出展が、今月25日の桑折宿軽トラ市にて行われます。  コスモス手づくりの会では、今年2月の伊達郡桑折町で開催されたつるし雛巡りにて、桑折町の女性団体から「さるぼぼ」の制作を依頼されたことがきっかけとなり、仮設住宅に避難する浪江町のお母さん方が、互いの支え合いを目的に日々、物づくりに励んでいます。 展示品① 展示品② 展示品③  制作された「さるぼぼ」は、同じ桑折駅前仮設の方々から口コミで全国に広まり、たくさんの方からご支持をいただいております。今年4月と7月に同じく桑折宿軽トラ市に出展した際には、たくさんの来場者のみなさまからご好評を得、展示した品々はたちまち売り切れるほどとなりました。 4月の軽トラ市の様子① 4月の軽トラ市の様子② 7月の軽トラ市の様子  今回も会のメンバーが「さるぼぼ」をはじめとする縁起飾りの制作にいそしんでおります。  是非、桑折町まで足をお運びください。 <桑折宿軽トラ市> とき:平成24年11月25日(日)9時~12時 場所:福島蚕糸跡地(伊達郡桑折町東段) お問合せ:桑折宿軽トラ市実行委員会☎024-582-2474(桑折町商工会内) 地図: より大きな地図で 旧福島蚕糸跡地 を表示

街並み景観改善事業ボランティア

先日、NPO法人福島ライフエイドによる、飯坂温泉の廃旅館「一楽荘」の廃棄物撤去ボランティア作業が行われました。 NPO法人福島ライフエイド http://f-lifeaid.org/ 飯坂温泉では、かねてから廃業となった旅館・ホテルの建物が廃墟と化し、温泉街の景観をそこねており、さらに震災後により建物が損壊したことで、その危険性が指摘されていました。 そこで所有者から国へ損壊家屋解体補助の申請がされ、町内の10軒の旅館・ホテルが撤去されるそうです。 (10月23日の福島民報記事) http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/10/post_5340.html しかし、建物の撤去費用と処分費用は国の補助により行われるそうですが、館内に残された大量の廃棄物を運び出す人件費は対象外ということで、今回、福島ライフエイドがボランティアを組織したということです。 館内より運び出されたトラックいっぱいの廃棄物と同NPO代表の宇津木さん 入り口 私も参加したかったのですが、残念ながら仕事の都合でお手伝いすることが出来ませんでした。。。桑折町での仕事の合間に、お昼頃、ちょろっとだけお邪魔させていただいたのですが、まだまだ館内にはたくさんの廃棄物が残されていました。 館内は天井が崩れている箇所や、床が抜けていたりもするので、注意が必要とのことです。 私が伺ったときには、宇津木さんを含め6名の方が作業にあたられており、ボランティアに参加した方は、景観の改善により観光客の増加に繋がればと期待を寄せていました。 民報記事にあるように、10軒のうち撤去の決まった3軒と、さらに残りの旅館・ホテルも今後、撤去の可否が決まるそうです。 また、機会があれば、私も是非参加させていただくとともに、ブログでお伝えしていきたいと思います。

仮設住宅の芋煮会

 先日、とある仮設住宅の自治会長さんにお話を伺いました。その日 は、自治会の独力で初めて仮設住民だけの芋煮会が催されていまし た。  いつもたくさんの方から支援を受けて、本当に有難く、嬉しく感じ ているいるそうですが、でもやっぱりちょっと遠慮する気持ちもあ るそうです。  1年と7ヶ月が過ぎて、初めて自分たちだけで、互いに支え合う取 り組みができたことを、会長は「夢が叶った」と表現されていまし た。  おっと、東北人以外の方に説明すると、「芋煮会」というのは、東 北では定番の秋の行楽行事で、近所の方々や、会社の同僚、学校の 友達同士など様々なコミュニティで数名〜数十名が集まり、キャン プ場や河原などで、大きな鍋で豚汁を作って食べるという、なんと いうか伝わらない気がしますが、秋のプチ・アウトドア・イベント なのです。  そんな日常にありふれた他愛の無い行楽行事を「夢が叶った」と言 わしめるほど、仮設住民の方々は逼迫しているのかと、あらためて 現状の深刻さに言葉を失いました。  ただ注意していただきたいのは、もちろんこれは現状の側面の一部 だということです。  「悲惨さ」を伝えることが、場合によっては被災地への偏見となり うる可能性もあることを前提に読んでいただきたいと思います。  事実、ある別の方は「仮設近隣の方や仮設内でお友達になった方々 に、とても良くしてもらって、仲良くなり、もうここを離れたくな い」と笑顔でおっしゃらていました。  自治会長自身も、今回の行事が1年と7ヶ月、お互いに支え合って 暮らして来た一つの成果として、「かつて浪江町に住んでいたとき も、ご近所同士でこれほどの密接な関係づくりはできなかった」と 自治会の活動に確かな手応えを感じられていたようでした。  いろいろと自治会長からお話を伺って、一番印象に残ったのは、1 年と7ヶ月が過ぎて、「慣れたでしょう」とか「もう慣れましたか ?」と言われるのが、本当につらいと言われていたことでした。 「仮設に住んでみたらわかる。全く先の見えない状況のなかで、何 年住もうがとても慣れるものではない」  私自身、今おかれている状況に慣れてしまってはいけないと、釘を 刺された気持ちでした。まだまだこれから長く苦しい避難生活を送 られていく方々がたくさんいます。自分に出来ること。ひとつひと つ続けていきたいと思